劣等感の克服 続き

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昨日は月末の最後の出勤日、いつもより作業が多くなかなかこのブログを書く時間がとれません。
おまけに、新人歓迎会もあり、いつもより事務所を早くでたので昨日も休んでしまいました。
そして、今日その続きを書いています。

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本日も、最近出版された斉藤 一人(銀座まるかんの創設者)さんの本から人の修行について紹介します。

本のタイトルは「地球が天国になる話」です。KKロングセラーズから出版されていますので興味のある人は購入してみてください。

前回の続きで”親が子どもに劣等感を与えている”です。

子どもは、人が喜ぶことを常にしていないと自分は無価値だと思ってしまうの話です。

人生って少し上を望んで何か挑戦するのってすごく楽しい。

子どもが自分で自発的に「絵だってもっとうまくなりたい」「ピアノだってうまくなりたい」って言うなら楽しい。

子どもの速度を超えて、もっと望む、もっと。それで行かないとすごくがっかりした顔をする。

それを、あたかも親は「あんたのことをかわいがっているからだよ」みたいなことを言う。

それが子どもにものすごい劣等感を与える。

要するに劣等感を与えられると、今度その子どもは子どものほうで、自分に対して「自分はいい子だったり、そういう時以外はかわいがられないんだ」と思ってしまう。

劣等感をうんと与えられて育ったおとなしい子というのは「お母さんは自分がいいことをしたときは喜んでくれる。気に入らないことをすると怒る。ということは、自分は何か常にいいことをしていないといけないんだ」という状態になる

親は勝手に、自分の劣等感を補うために子どもをしかっているようなもの。自分に劣等感があるというのをよく知らない。

だから子どもにそういうことをすると、やられた子どものほうは自分は無価値だと思う。それで自分に価値を見いだすためには一つのことをしなければいけないと思う。

それは人が喜ぶことを常にしていないと、自分は無価値だと思うから、意外とそういう元気のない子に「あなた、何をやりたいの?」と聞くと「自分はボランティアとか福祉をしたい」という。

それは何かいいことをしなければ、自分は価値がないと思っている。だから、おとなしい子というのは、そういうボランティアとかしたがる。但し、ボランティアをやっている人が全員そうだというわけではない。

それで、必ずそういう人の特徴というのは楽しそうにやっていない。

だって本当にやりたいことをやっていると楽しそう。だけど自分のコンプレックスを補うためにボラティアをやっている人というのは、本当にやりたいわけではないから、「やりたいの」と言いながらなかなかやらない。

では、この続きは次回にします。

ありがとうございました。

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