[今]を考える「心」

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またまた週末になってしまいました。

今週はお盆休みの人が多いらしく電車もすいていて通勤が楽でしたが、来週からまた人が増えるのかと思うと少し憂鬱です。

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今日も、小林正観さんの本からで楽しい人生を生きる宇宙法則という本を照会します。
出版社は講談社です。

今日の気になるテーマは「今を考える心」です。

「念」という文字を分解すると「今」と「心」という文字になります。

「念」とは「今を考える心」であると小林正観さんは本の中で書いています。

自分との戦いであるスポーツを例にとって説明してみます。

ゴルフでティーショットを打つとき、5分の時間があったとします。

多くの場合、5分のうち4分は前のホールのことをあれこれ考え、”悔やんで”います。「あれをこうすれば良かった」「あそこでミスしなければ三打は違っていた」などと考えていないでしょうか。

しかも、残りの一分のうち50秒は「次もまた失敗するのでは」「このスコアでは負けるのでは」などと考えています。

今目の前にあるボールを「いかに正確にきちんと打つか」を考えるのはわずか十秒ぐらいです。

つまり、五分のうちほとんどを、過ぎてしまった”過去”を悔やみ、まだ来ていない”未来”を心配している。

今最も大事な「このボールをいかに正確に打つか」という目の前の大事なテーマに、ほとんど時間を使っていない。

実は私たちの生活も同じことがいえそうです。

過ぎてしまった過去を悔やみ、将来何が起きるか分からないと怯えている・・・・・・・

「今」の「心」とは「目の前にあることを一生懸命やりなさい」ということだそうです。それは、言葉を換えて言えば「実践」ということです。

インドで多くの病人の看病をしていたマザー・テレサはあまりにも有名ですが、この方は同じ質問を何十回も受けてきたそうです。

その質問とは、「あなたはなぜ、いくら手厚い看護をしても助からないような末期や難病の人々に対して、一生懸命に心を込めて全力で看護するのか。結局は無駄になるのではないか」というもの。

質問をするジャーナリストも不勉強だしひどい質問だと思いますが、マザー・テレサは穏やかにいつもこう答えてきたそうです。

「いま死に瀕している人たちに、心を込めて看護することで、せめて最後の最後に『生まれてきてよかった』と喜んでもらいたいのです」

マザー・テレサは、その病人が死んでしまうかもしれない、手厚い看護が無になっていまうかもしれない、という結果(未来)を見ているのではない。

人生の途中で誰かが手を差し伸べてあげればこの人たちはこうならなかったろうに、と過去を悔やんだり、人を責めたりしない。ただ、今、自分にできることをし続ける、やり続けることに徹していたように見えます。

”実践”こそがマザー・テレサの根底だったのかもしれません。

「今」の「心」とは「今目の前にあることを一生懸命やること」であり、それが「念」という文字になりました。

実は「一生懸命」という言葉も、もともと「一所懸命」(ある場所を守るために命をかける)という戦国時代の用語でした。

「今の心」=「念」は、イコール「一所懸命」でもあり、「実践」ということでもあるのでしょう。

今日はここまで。

ありがとうございました。

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